キズリャル (Kizlyar)
キズリャルが初めて地名として登場するのは1609年であるが、歴史家の中にはキズリャルを8世紀に存在した国家、ハザールの首府であったサマンダールと関連付ける者もいる. 1735年、ロシア帝国政府は要塞をキズリャルに築き、コーカサスに対する防衛戦として位置づけた. 18~19世紀、キズリャルはロシアと中東・中央アジア間の交易都市として発展した. この時期には、人口の大多数がアルメニア人とロシア人であった. 1796年、キズリャルには2,800人のアルメニア人と1,000人のロシア人が居住していた.
1996年1月、キズリャルの航空基地にロシア第78師団の兵が駐屯しているとしてチェチェン共和国の独立主義者から襲撃を受けた.
また、キズリャルはロシア帝国将軍ピョートル・バグラチオンの出生地とされている.